餃子研究会南嘉堂の餃子博覧会
餃子の相互リンクトップへ
   
餃子研究会
餃子の起源
餃子と健康
世界の餃子
餃子関連書籍
相互リンク
相互リンク
相互リンク
 

1.前言

餃子の化石が1968年にトルファンのアスターナ遺跡で発掘されたことは餃子ファンならどなたでもご存知でしょうが、このように餃子が死者への副葬物として扱われたことは、この時点での餃子のポジションが今のようにポピュラーな食べ物でなく「高級品」であったからではないかと考えられます。
アスターナ遺跡は唐の時代の遺跡でありますので、この章はそれ以前のことを資料に基づいて整理してみました。
資料は青木正児著の「華国風味」(岩波文庫 1984年5月)と張競「中華料理の文化史」(ちくま新書1997年9月)を用いました。

2.古代中国の粉食品(粉物食品)表示

古代中国の粉食品は「餌」と「餅」の字に区別されて表されていたとのことです。「餌」は米・黍・粟・豆といった麦以外の穀物を原料とした粉食食品を示し、「餅」は(小)麦原料の粉食食品を表していたのです。
しかし餃子の仲間を表す「餅」が出てくる文献は「餌」に比べて出現が大幅に遅れました。「餌」が「周礼」(春秋・戦国時代の本 儒教の最重要経典に1つ)の祭喪でのおもてなし料理一覧に出てくるのに対し、「餅」は漢代の学者史游がB.C30年頃に書いた啓蒙書「急就章」に「餅餌、麦飯、甘豆羹」という3種の食べ物の一つで登場するのが一番最初の例です。
少なくとも約190年間(B.C221年~B.C30年)の遅れがでているのです。
なぜ「餅」の出現にはこんなに時間がかかってしまったのでしょうか。

3.「餅」の出遅れ理由?

ご存知のとおり小麦粉は中央アジアが原産です。ですから、いくら中国でも皮となる小麦が原産地からやってこない限りは「小麦の粉食品」はありえませんので、中央アジア貿易(シルクロード貿易)を始めなければ小麦が入らず、麦粉食品の「餅」が生まれなかったことが出遅れの原因だと考えられます。

4.いつごろ小麦が到来したか

シルクロード貿易はB.C139年の漢の張騫(ちょうけん)による西域外交訪問が起源とされています。13年後に帰国するまでに現在の中央アジア一帯を歴訪し、交易の基本システムを作ってきました。そしてその流れの中で中国に小麦が入り、小麦粉が作られ、それを素材とした食品が開発され、やっと「餅」の字が生まれることとなったと思われます。
つまり前漢中期から末期の短い時間に小麦粉が到来し、急速に小麦粉食たる「餅」が広まったと考えられます。

5.「餅」の進化

このようにやってきた小麦(粉)はどのように食べられていたのでしょうか。ここは想像を交えて進めますが、初期(前漢期)の「餅」はそれをただ焼いて食していたようで、現在のナンといったところであったようです。

しかしその後、焼くという調理法の他に煮るという調理法が発達します。後漢末(または魏初=三国時代)に劉熙が書いた「釈名」や、晋の東晳の「餅賦」には「水引餅」と「切麺粥 一名、棊子麺(きしめん)」が現れます。
「水引餅」とは「小麦粉を篩いにかけ、肉汁で練ってから箸の太さ位にのばして1尺位に切り、それを水中でニラの葉のように薄くしながら、一つ一つ別鍋で煮る」ものであり、「切麺粥 一名、棊子麺」は「小麦粉をこねて小指ほどの大きさにし、また小麦粉をまぶして更に揉んだ上、太めの四角い中華箸のようにしたものを小口切りし、それを蒸してから冷まして保存しておき、必要に応じて湯煮して熱い肉スープをかけて食べる」というものです。現在の小麦粉食にあてはめると「水引餅」がきし麺(名古屋名物)のようであり、「切麺粥」はニョッキ(イタリア料理)のようですね。

 この時代あたりは、スイトンから麺への分岐時期であったかと思えますがいずれにしても「具を包むことなく小麦粉の練ったものを煮る」ことを中心とした調理法であることから「湯餅時代」と呼んでも差し支えないようです。

しかしこの期間は西暦25年から589年までの564年間にもなりますので、この間にも変化は始まっていたことでしょう。
魏末から南北朝初期の本である「斉民要術」の餅法篇によると、「餅」は小麦粉のドゥに具を入れて発酵させて焼く「具入りパン」の方向と、麺の方向、ドゥを薄く延ばして皮とし、具を包んで茹でる「水餃子」の方向の3つの流れに分かれていったようです。

6.餃子の成立

3つの流れ内の「具包み」の方向が現在のワンタン・餃子へと進化するのは想像どおりですが、ではいつごろから現在のような半月形のフォルムを獲得したのでしょうか。
南北朝時代から隋の初めの時期の学者に顔之推という人がいたそうで、この人の証言を唐の時代の段公路が「北戸録」という本に載せていいますが、「顔之推云う、今の?飩の形は偃月の如し、天下の通食なり」と「?飩の形は半月型が当たり前だと」記録されています。ですので南北朝末から隋時代の初期には円形の皮の中に具をのせて半分に折って包むという現在の餃子と同じスタイルとなっていたと考えられます。
つまりこの時代に、材料・料理法・スタイルの3面から現代にも通じる「餃子」が成立したと考えています。